2020年4月30日木曜日

天明三年(一七八三)七月二十三日

 昼近く、おさよとおろくが戻って来た。一緒に来た藤次に率いられて、大笹の若い衆が角材や板を運んで来る。
 昼飯の支度をしていた女衆が驚いて、おさよとおろくの回りに集まって来た。
「うまく行ったわ」とおろくは笑った。
「干小(ほしこ)の旦那さん?」とおかよが聞く。
 おろくはうなづいて、「黒長の旦那さんも協力してくれたの」と言った。
「さすが、おかみさんね」とおかよたちは感心して、おさよを見る。
「わたしはただお手伝いしただけよ。みんなの気持ちが通じたのよ」
 そう言っている間にも、小屋作りの資材が次々に運び込まれた。
「あの人たちにもお昼、お願いね」とおろくはおかよに言うと、藤次を連れて市太の所に向かった。
 用水を掘り起こす仕事は順調に進んでいた。藤次は小屋の事を市太たちに説明した。小屋の大きさは間口(まぐち)三間(さんげん)、奥行十間で、冬に備えて囲炉裏を四ケ所つけるという。
「ほう、そいつア助かる」と市太たちは喜ぶ。
「それだけの大きさがありゃア、当分は間に合うだんべ」とうなづきあった。
「明日から建て始めようと大工(でえく)たちも集めてあるんだ」と藤次は気の早い事を言う。
「明日からか」と市太は驚く。
「早え方がいいだんべ」
「そりゃアそうだが」
「そこでだ、どこに建てる」
 市太は半兵衛を見た。
「観音堂よりはこっちの方がいいだんべな」と半兵衛は言った。
「そうだな」と市太もうなづいた。
 市太は昼飯にしようと仕事をやめさせ、皆を観音堂に返した後、半兵衛と藤次と一緒に、小屋を建てる場所を捜した。今後、皆の家を建てる予定もあるので、邪魔にならない場所を選ばなければならない。村の中央に当たる諏訪明神の境内にしようかとも思ったが、やはり古井戸に近い方がいいだろうと村の南の端、おろくの家のあった辺りに決定した。
 昼飯を食べながら、市太はおろくから、昨日、ここを出てからの事を聞いた。
「昨夜(ゆうべ)はおみのさんのお部屋に泊めてもらったのよ」とおろくは楽しそうに言った。
「へえ、一晩中、話し込んでたんだんべえ」
「ええ。市太さんと藤次さんの喧嘩の事とか色々話してくれたわ」
「あいつ、余計な事は言わなかったんべえな」
「余計な事も教えてくれたみたい」とおろくは笑った。「兄貴は女好きだから気をつけなさいって」
「あの、馬鹿が。そういやア、おみのの姿が見えねえが、今日は来ねえのか」
「向こうで、ここに運ぶ荷物の指図をしてるの。最後に来るはずよ」
「そうか。それで、名主のおかみさんは真っすぐ、干俣(ほしまた)に帰(けえ)ったのか」
「いいえ。おさよさんも黒長さんのお屋敷に泊まったのよ。市太さんの家族を説得してたみたい。その前に、あたしと一緒に、みんながお世話になってる旅籠屋に行って、おみやちゃんの叔母さんや油屋の旦那さん、立花屋の善次さんたちを説得して回ったの」
「成果はあったかい」
「枡屋さんとこは大丈夫。うるさい大人は叔母さんしか残ってないし、生き残っただけでも感謝しなくちゃって。おみやちゃんもお兄さんの怪我が治ったら、すぐにでも来るって言ってたわ。油屋さんとこは難しいわね。かなりの土地を持ってたから、やっぱり、それにこだわってるの。息子さんたちは、そんな事を言っている時じゃないって言うけど、あそこの旦那さんはイッコク者だから難しいわ」
「立花屋の善次はどうなんだ」
 立花屋というのは橘屋の分家だった。市太の祖父、市左衛門の弟、武左衛門が分かれて、笹板(ささいた)と呼ばれる屋根を葺(ふ)く板を扱っていた。善次は武左衛門の伜で、村が埋まった日、妻と一緒に妻の実家のある原町に行っていて助かった。妻の母親が突然、倒れて、村が埋まった日も危篤(きとく)状態が続き、妻を原町に残したまま、善次は一人、村に向かった。大戸から須賀(すが)尾(お)を抜け、万騎(まんき)峠を越えて狩宿まで行ったが、そこから先は行けなかった。狩宿で鎌原の馬方たちと出会い、再会を喜んだが、村は全滅したという。仕方なく、原町に戻ると妻の母親も亡くなっていた。
 村を失い、家族も失い、嘆き悲しんでいた時、大笹に鎌原の生存者がいるという噂を聞いた。母親の初七日を済ませた二人は大笹へと向かった。須賀尾通りでは大笹まで行けないし、吾妻川沿いも危険だという。二人は暮坂(くれさか)峠を越えて草津に行き、中居に降りて大笹に向かった。大笹に伜の松次郎が生きていた。伜と再会できて二人は喜んだが、実家の母親は亡くなり、嫁ぎ先の両親も亡くなり、家も村も失い、あまりにも衝撃が強かったため、妻のおつたは倒れてしまった。今も具合が悪く、大笹の旅籠屋で寝込んでいる。
「一応、話はしたんだけど、それどころじゃないみたい。それにあの時、村にいなかったから、村の状況もわからないんじゃないかしら。ここに来て、この有り様を見ればわかってくれると思うけど」
「そうなりゃいいけどな」
「そして、今朝早く、干俣村に行ったのよ。干小の旦那さんが作ってくれた小屋に、みんないたわ。百姓代の仲右衛門さん、扇屋の旦那さん、宮守(みやもり)の杢右衛門さんを説得したの。仲右衛門さんは一人だけ生き残った村役人さんなのに、村の事なんか考えられる状態じゃなかったわ。家族を失った悲しみから立ち直れないみたい」
「若え嫁さん貰って、子供ができたばかりだったからな」
「ええ。扇屋の旦那さんは、弟の吉右衛門さんはこっちに来てるけど、難しいわね。持ってた土地は絶対に手放さないって強気だった。おさよさんが説得しても無駄だったわ。おさよさんもついに頭に来て、旦那さんの土地はそのままにして置きます。お好きになさいと言ったの。旦那はそれでいい。誰にも渡さんと言ったわ。おさよさんは新しい村を作るにあたって、土地はすべて村の物とみなして、みんなで焼け石を除いて整地をします。旦那さんの土地はそのままにして置きますので、家族の皆さんと一緒に掘り返して下さいって。旦那さんは困ったようだったけど、まだ強気で、お上のお役人様が来れば、そんな勝手な事をさせんて言ってたわ」
「へえ、あのおかみさんが扇屋の旦那を脅したのか。そいつア見物(みもの)だったな」
 市太はおさよが清之丞をやり込める場面を想像して、声を出して笑った。
「旦那さんは無理でも、息子さんは来るような気がするわ」
「そうか、あの旦那は一番手ごわそうだな」と市太は無精髭を撫でる。「宮守の旦那はどうなんだ」
「お諏訪様もなくなっちゃったけど、必ず再建します。是非とも宮守を務めて下さいって言ったら、引き受けてくれたわ。でも、娘のおみなちゃんの具合が悪くて、おみなちゃんがよくなったら行くって約束してくれた」
「そいつアよかった。あっ、そうだ。俺んとこはどうなんだ」
「お爺様はそれも仕方ないじゃろうって言ったようだけど、お母さんと叔父さんは反対してるみたい」
「そうだんべな。おふくろは黒長の妹だから、くだらねえ誇りってえもんを持ってる。叔父御も土地を持ってたからな、それにこだわってんのかもしれねえ。跡継ぎの五郎八は死んじまったが。叔父御はまだ、馬方たちを死なせたんは自分のせいだと思ってんのかな」
「さあ、そこまでは聞かなかったけど。でも、おさよさんが村作りに加わったと聞いて、びっくりしていたそうよ」
「そりゃアそうだんべ。俺だって驚いたぜ。ところで、おかみさんは何だって、おめえを連れてったんだ」
「それがよくわからないのよ」とおろくは首を傾げる。「もしかしたら、市太さんと半兵衛さんの事を詳しく聞きたかったのかもしれないわ。市太さんの事は村一番のゴロツキ、半兵衛さんの事はただの馬方の一人としか知らなかったみたい。その二人がどうして、中心になって村作りをしてるのか理解できなかったんじゃないの」
「そうかもしれねえな。それで、おめえ、俺たちの事をちゃんと教えてやったのか」
「勿論よ。それに、おみのさんがあたしたちの事を教えたら驚いてたわ。おさよさんたら、家柄の違う者同士が一緒になれないって事も知らなかったのよ」
「本当かよ、そいつア」
「ほんとなのよ。鎌原様と村役人さんたちは別として、他の人たちはみんな同じだと思ってたみたい」
「信じられねえな。だって、村の祝言(しゅうげん)には名主夫婦が立ち会うんだぜ。そんな事を知らねえなんて」
「あたしも信じられなかったけど、ほんとなのよ。それで、あたしたちが身分差のない村を作るっていうのは、そういう事なのかって、やっとわかったみたい」
「何だ、それじゃア、おかみさんは新しい村の意味もわからずに仲間に入ったのか」
「昨日はね。でも、今はちゃんとわかってるわ。市太さんの事も半兵衛さんの事も、勿論、新しい村の事も」
 おさよを見ると半兵衛と話をしていた。おさよと話をするのは初めての半兵衛は小さくなって、やたらと恐縮しているようだった。
「何を話してるんだんべ」と市太が二人の方を見ながら言った。
「おさよさん、色々な事を知りたがってるのよ」とおろくも二人の方を見た。「十年以上も住んでたのに、村の事は旦那さんに任せっきりで、何も知らなかったのを恥じてたわ。もっと、村の人たちと接していればよかったって。今までの穴埋めをしようと必死なんじゃないかしら」
「俺もあまり話した事アねえが、いい人みてえだな」
「そりゃアいい人よ。あたしだって、兄さんを名主さんちに連れてった時、挨拶をするくらいで話したのは初めて。昨日、一緒に来てって言われた時はどうしよう、何を話したらいいんだろうって心配したけど、おさよさんの方から色々と聞いて来てくれて。あたしが名主さんのおかみさんて呼んでたら、みんな、平等なんでしょ、おさよって呼んでくれって。何か、とても張り切ってるみたい」
「おさよさんか‥‥‥年増(としま)だが、いい女だ。半兵衛の奴、まいっちまうんじゃねえのか」
「いいんじゃないの。お互いに連れ合いを亡くしちゃったんだから」
「羨ましいわね、仲がよくって」とおかよが顔を出した。
「あれ、おめえ、おそめはどうしたんだ」
「おしめさんに預けたわ。おそめったら、おしめさんの事をお母さんだと思ってるみたい。おしめさんもおそめの事を気に入ってるみたいだし、このまま、おしめさんの子供にしちゃおうかしら」
「それもいいんじゃねえのか。おめえも子持ちじゃア嫁の貰い手もいめえ」
「なに言ってんのよ」とおかよは市太の肩を小突く。「あたしには鉄つぁんがいるさ。早く、お茶屋を開いて、鉄つぁんが来るのを待ってなくちゃアね」
「この村の事は江戸にも伝わったのかなア」市太が言うと、
「わからないわ」とおかよは首を振る。
「兄貴の事だ、今頃、こっちに向かってるかもしれねえ」
「いいのよ。そんな気休め言わなくても」
「気休めなんかじゃねえ。本気でそう思ってる」
「そうなら嬉しいけど」おかよは寂しそうに笑った。
 資材運びはまだ続いていた。女たちは次から次へと来る大笹の若い者たちのために昼飯の支度が忙しかった。昼飯を食べ終えたおろくとおさよは食べていない女たちと交替した。
 男たちは食事の後、一服すると小屋を建てる場所に向かった。大笹から来た者たちにも手伝ってもらい、夕方までには焼け石を掘り起こし、整地もできた。
「明日は大工を連れて来るからな」と藤次は言って、若い衆を引き連れ帰って行った。
「兄貴、おさよさんのお陰でうまく行ったね」と最後の荷物と一緒に来たおみのが笑った。
「おさよさんが伯父御に頼んだのか」
「あたしも頼んだけど、こんなに事が早く運んだのは、おさよさんのお陰なのよ。おさよさんが干小の旦那を大笹に連れて来てね、村中にある資材を集めさせて、大工さんも呼んで、これでどういう小屋が作れるかって聞いて、納得すると次々に運ばせたのよ。まったく、小気味よかったわ。うちの親父と干小の旦那だけだったら、まだ、何だかんだ言ってて、今日のうちに資材を運んで、建てる場所の整地までできやしないわ」
「そうだったのか。結構、やるじゃねえか、あのおかみさん」
「そうね、強い味方ができたわね」
「大笹のみんなにも何かお礼をしなきゃアならねえが、今の俺たちにゃア何もできねえ。まったく、歯痒(はがゆ)いぜ」
「そんな事、気にすんなって。人並みな暮らしができるようになってから考えな」
「すまねえ」
「いいのよ」とおみのも手を振って帰って行った。
 おさよは残って、みんなと一緒に小屋に寝泊まりする事になった。不自由な生活だが、食べ物のなかった、あの六日間に比べたら何でもないと気にしなかった。

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